ざらし



 外はいきなりの雨だった。もし雨が降ったら洗濯物をしまってじゃんといったとある女教師の朝の言葉がぐるんぐるんと巡った。
 しかし、今はそれどころではなかった。
 悪ィな、と優しい顔をした後に申し訳ないといった表情へシフトしながらミサカにそう言った。
 まず腹が立ったのは優しい顔に少しでも心がうずいた自分だった。そして次に、そんな事を悲しい顔して言った事。 最後に、これが最も苛立ったのだけれどもこの事を笑い飛ばせない自分だ。

 なんてね、あなたの事なんてなんとも思ってない。むしろミサカはあなたの事を未来永劫うらみ続けていくつもりだし。ちょっと からかっただけだから。そもそもあなたが一番大好きでだーいすきでたまらないのは、あの子でしょ。

 挨拶代わりに言っているような事が言えなかった。まず 口が動かない。動かしたらむしろ泣いてしまいそうだった。身体も動かない。動かしたら膝から崩れ落ちそうだった。ロボットの ようにフリーズして動かないミサカを知ってか知らずか、一方通行は何かを話しているようだった。声色はなんだかオブラート につつまれているように優しい。
 けど、ミサカにはそれすらもうまく聞こえなくて、かろうじて聞き取れたのは「番外個体は大事」と「でもやっぱり」と「打ち止め」という 言葉。

 でもそれはね、出逢った頃よりもずっとずーっと前から知ってんの!

 そう悪態をついて、日常に一刻も早く戻したいのに。ミサカにはどうしてもそうできなかった。おかしいでしょ、こんなの。 そもそも知ってたのに、なんでミサカはあなたにあんなことを言ってしまったのだろう。最終信号がどこからか借りてきた 少女漫画を又貸しして読んだから? それともうっかり二人っきりで夜に ―とは言っても罰ゲームでコンビニにアイスを二人で買いに行っただけだけど― 出かけたから?  はたまた上条当麻とシスターの格好したちっこい子がこっちが見ていれなくなるほど、微笑ましかったから? もしかして、 お姉様の恋煩いの様子を思わず目撃してしまったから?
 でもどれもこれもミサカが言ってしまったきっかけとは言い難い。そんなのに、干渉される程ミサカは繊細に出来てないもの、多分。
 ミサカが、一生分の勇気を使って言った言葉を断った一方通行は何も反応しないミサカに告げる言葉は尽きてしまったようで、 部屋の中には雨音が響いてしまうくらい、静まり返ってしまった。
 どうして叶わないのに、言ったのだろう。どうして嫌いになれなかったんだろう。 この二つの言葉が足先から、頭のてっぺんまで回路を通って巡る。 でも後悔ではなく、遺憾とも違う。なにこれ、わかんない、わかんないよ、20001号。
 その言葉に呼応したのは意外にも電話だった。聞きなれたベル音が静かな部屋を小気味よく打ち消した。 直後に一方通行の杖の付く音が聞こえた。それと電話のベルが消えるのは同時だった。
 一方通行の声、そして電話の向こう側から最終信号の声がうっすらと聞こえる。どうやらいきなりの雨に立ち往生した 最終信号が迎えに来てほしいとの催促のよう。
 何度か恒例行事である二人の応酬を終えて、一方通行は受話器を置いた。
「オイ」
 時間が空いたからか、それとも最終信号の声を聞いたからなのかはわからないけれど一方通行はいつものそっけない声に戻って、 ミサカに声をかけた。
「俺はあいつを駅まで迎えに行く。テメーは洗濯モンでも仕舞ってろ。ついでに、スーパーに行ってくるから帰ってくるのに大体 一時間以上かかる」
 優しさに腹が立って、ミサカの眉間に皺が寄る。
「洗濯モン、仕舞ってねェと黄泉川にキレられっからな。ちゃんとやっとけよ」
 そう言って一方通行はドアを閉めてリビングから出て行った。
 疲労しきったミサカはソファーにどっぷりつかって、そしてそのまま身体を倒した。上を見上げると、いつもの天井があったけど 雨の所為で暗かった。ほんの数分前まではもしかしたらもっと普通に見えていたのかもしれないけど。
「…ヨミカワに怒られるのはヤだな…」
 身体を思い切り、起こしてベランダに続く大きな窓を開けた。雨は想像より強くて、顔に当たる雨粒が大きい。遠くの方では、 まるでカーテンのように雨の壁がゆらゆらと動いている。視線を落とすと、そのカーテンに向かっているように ビニール傘を背負った一方通行が、似合わないピンクの傘を持って歩いているのが見えた。
 なんでうらめないんだろう。元々がこの世で一番うらんでいる筈だったのに。もう葬り去りたいくらい嫌いだったあの背中が 今では一番、違う意味で考えてるの。変でしょ、こんなの。どうしてよ。
「あ…好きだからか」
 答えを顔に雨が叩きつける中で導き出してしまった自分に対して腹立たしくてミサカは漸く泣いた。
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