誤魔化したり、うまく立ち回ったりする事をリザ・ホークアイはいつもなら仕事と同様、若いころから優秀だった。
それは年齢と共に経験値を重ねるのでむしろ、うまく出来なかった事など一度もない。しかし今日はどうやら失敗してしまったようだった。
敗因はこの店最後のアイスティーを目の前で含み笑いを浮かべる友人に譲ってしまった所為であろう。もしや、歳かしらとも思ったがその懸念は振り払う。
「どう、って」
「ちゅ・う・じょ・う」
互いに歳は重ねたが、士官学校時代から変わらないいたずらな笑みはレベッカ・カタリナの持ち味だった。 普段であればその顔に眼を細めることも出来るが、今日はその笑顔は自分に向けられているのでリザは決していい気分ではない。
「別に。昔から変わらないわよ。私に本気で怒られるか怒られないかの瀬戸際で仕事してるわ」
「中将が、じゃなくて中将と」
「だから相変わらずよ」
「そっちじゃないわよ、あっちの話」
「あっち」
リザが鸚鵡返しをすると、レベッカは肩をすくめながら、いわせるつもり、こんなところで、と言った。
むしろこんなところで猥談をしようとしてる友人には言われたくないが、それを否定する気力も起きない程、外気も身体の中もあつかった。
朝流れてきたラジオでは、今日は今年一番の暑さと言っても過言ではないと言っていた。そこまでは想定内だったが、行きたい行きたいと、耳にたこが出来る程にレベッカが言っていたローストチキンの店の飲み物用の氷が切れているという話はリザですら予測不可能だった。

ふとリザは君は真面目で仕事はできるが、仕事でもプライベートでも想定外の事に弱いよなと言われた事を思い出した。
公は確かに心当たりがあった。
だが本当に公私ともにそうだったとは、見てないようで見てるなと今更ながら感心した。

「アイスティー、譲るんじゃなかったわ」
「仕方ないでしょう、コイントスで負けたリザが悪いのよ。で、どうなの」
「話すことなんか、何もないわよ」
「じゃあ話してくれたらこれ、譲ってあげてもいいわよ、こいつ」
硝子に入れられて、宝石に見える水滴。溶けた氷の水とティーが二層になりつつある。マドラーで掻きまわした途端、氷が踊り狂う。混ざり合う茶と透明。
大きな賭けである。しかし、外の照り返しすらも厳しい光、そして全てを諦めさせるような暑さにリザは音を上げていた。かろうじて味方である店内の扇風機も熱ごと風を送ってくる。周りに客がいないのを確認してリザは言った。
「その話のったわ」
「よっし」
「でもね、本当に話すことはないのよ」
「でも少佐の時も、中佐の時も、大佐の時も話してくれなかったじゃん。何度目の正直よ、まったく」
「すごく人聞きが悪いわね。それに懲りない貴女も貴女でしょう。それに貴女だって話さなかったじゃない」
レベッカは眼をじっとりと不快に細めてリザを睨んだ。そこでようやくリザは気がついた。
「ああ、いなかったものね」
「すごく人聞きが悪いわね。リザと逢う時はたまたまいなかっただけよ」
「解ったわ、要は欲求不満なのね」
「違うわよ、単純に夏だもの」
「夏」
「そう、夏。夏にセクハラじじぃの相手してる私の身にもなりなさい。年々辛くなるのに、年々あーゆー下ネタはひどくなってくのよ、あの人。取るもんじゃないわね、歳なんて」
「身になってもそんな話はしないわね、まず。それに歳とってそんなことを言う件に関してはレベッカ・カタリナ准佐、大して変わらないわ」
「自分は違うとでも言いたいわけですか、あっちのほうで、とリザ・ホークアイ少佐」
リザはぬるい紅茶を少し飲む。苦みと渋みがが引き立っているが、飲まないよりはましだった。レベッカは、アイスティーをぎゅうと掴んで暑さを凌いだ。レベッカはしっとりと濡れた手を額に持っていき、気持ち良さそうに眼を瞑った。
「結局そっちに持ってくのね……本当に話すことはないと言うより、変わりないわね」
「あら、そうなの。まぁリザの事だから、同じ事しかしてないんじゃないのかと」
リザは外を見た。店内は極力暑さを避けるため電気が極力落としてあり暗いが、外はまるで白昼夢のように君が悪い程に人気がなく、真っ白い。
そのついでに色々と思い出すが、確かに昔に比べて効率よく快感に向かうようになったものだ、と思った。
「何その反応。結構色々がんばってるんだ」
心配して損した、と言いながらアイスティーに口を付ける。飲み干しそうな勢いで飲み始めたのでリザは思わず制止する。レベッカもおっと、と言いながら飲むのを止めて硝子コップを置いた。
「あんな知識のなかったリザがねぇ」
「悪いけど、半分は貴女から強制的に聞かされた知識よ」
「残り半分は?」
「さぁ」
にっこり余裕の笑みを見せると、レベッカは悔しそうにアイスティーを飲む。氷もがりがりと噛む。そして机にうつぶせになって口内で残りの氷を舐めまわした。
「いいなー、いいなー。いい男紹介してよ」
「じゃあ、いる?」
名前は言わなかった。冗談混じりにこんな事を言う余裕が自分にあるなんてリザは思いもよらなかった。そして昔なら言えなかったかもしれないとも思った。
夏を越える度、体力を奪われていくけれども、違う面ではしっかりと自分の中で芯が構築されつつあるのだ。夏は辛いけれども齢を重ねるのも悪くない。
レベッカは氷を飲み込むと、
「いや、いいわ。リザの手にしか負えなさそうだもの」
と、言った。そしてそのまま続けた。
「意外ね。そういう冗談言うの」
「……夏だからね」
「夏だから、ねぇ」
わけわかんないわ、と言いながらレベッカはそのままアイスティーを飲み干したが、それを怒る気力がないのは歳か暑さか、リザはそのまま黙った。
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