不覚ながら吃驚してしまった。前から来たものは弾丸でも避けてやろうと思うけれどもさすがに気配ないものは無理だった。
手を伸ばして、それを取ろうとしても手には何もかすらない。大してものではないが、ちくちくと痛みが首筋を走る。仕方がないので段取りよくジャケットのボタンをひとつひとつを取って、最後の段で手が止まった。辺りを見渡すと少し小高い丘から、嬉しそうにこちらを見ている。
あの様子だと最初から見ていたのだろう。不覚。
もう見るのも嫌になってしまったので、私はまたボタンに手をかけた。一番上のボタンを留めたのと同時に、彼は私の元にたどり着いた。結局、坂を下って私の元へ来るまで同じ顔をしていた。
「よく気が付いたなぁ。てっきり気が付かないと思ったのに」
「視線を感じたんです。だらしない顔して、なんなのですか」
悪態をついても、私の先程のあたふたぶりは隠し通せない。厭味など右から左、今無能と言ったところでも恐らくきかないだろう。
「いやぁいいものを見た」
「墓前でよく言いますよ」
「失礼いたしました、ホークアイ先生」
墓へ向かって頭を下げた後―敬礼をしない辺り、未だ父を恐れているのがよくわかる―しゃがんで持っていた花束を置いた。私が先に置いた花束の手前に、そっと。
暫くの間、父の名前が刻まれた石を見つめて後、立ち上がった。
「どれ、取ってあげよう」
首の後ろに入ってしまった落ち葉をいともたやすく取った。首にはもう痛みはない。ありがとうございます、と一言告げると、その葉をくるくると回した。
「今回はどんな言い訳でこちらへ?」
「ハボックの見舞いついでに東部を回ってくると言った。ブレダは嫌な顔ひとつもしなかったぞ、流石だな」
「まったく。普通に休暇届けを提出すればいいものの」
この小言等、ここで何回言ったかわからないがきいた試しがないのはよく知っている。毎回言う私も私ではあるが、言わないよりはまだ良いと思いたい。
「2年近く来る事が出来なかったのに、綺麗にしてあるな」
辺りを見渡しながら大佐は言った。
「いえ、荒れ放題だったので3日間朝から日が落ちるまで掃除詰めですよ。今日ようやく目処が立ったので」
「ああ、だから花がまだ新しいのか。もう少し早く来てやればよかったな。草など焔で一発だ」
「こんな乾燥地帯でそれを使ったら、瞬時に焔の海ですよ」
はは、それもそうだなと言って笑った。彼は尚、枯葉を回し続けている。先程の楽しそうな顔とは違い、神妙な顔をしていた。神妙というよりは泣いてしまいそうな。
勿論、大の大人であるから余程の事がない限りは目を潤ませる事はしないし、恐らく泣きもしないだろう。しかし、それ意外に表現が見つからない。なんて語彙力のない私。でもこの顔を見て他にどう表現しろというの。
「どうしました」
「いや、なんでもない」
なんでもないわけない、と思った。この人のことだから、父に向けて申し訳ないなどと思っているかもしれない。私に2年もここへ来させなかった事を詫びているのかもしれない。
だけどそれは杞憂なのだ。私のこの現状は諦めではなく覚悟だと何度も言ったでしょうに。結局優しすぎるのだ、自分以外の人間に対して。
その優しさが、あの日から―ヒューズ准将の言葉を借りれば万国人間ビックリショーの連続の日々の終焉―他の人よりもずっと苦しんでいるのだから、この人は本当に。
その上、私になど付き合っているのだから身も心も持つはずもない。いつか、自分の焔に飲まれて死んでしまうような気がする。まぁ、それから守る為に私がいるのだけれど。
彼は持っていた枯葉をピン、と飛ばして両手を合わせた後、標準を合わせると小さく焔が枯葉に飛んでいき、そのまま空中で黒いカスとなった。それは風に舞ってちらちらと飛んだ。少し、焦げくさい。両手を合わせるよりも発火布の方が効率がいいよな結局、と言っていたから、両手を合わせて焔を練成した姿は久しぶりに見かけた。そして、先程の様な泣き顔は微塵も見当たらなかった。
「さっきは来年はどんな言い訳をしようか考えてたんだ」
あんな顔で言い訳を考えてたら、本当に馬鹿だと思う。それは副官として、ではなくリザ・ホークアイ個人として心に留めておく。
「たとえば?」
「フュリーがいる内に南方指令部に視察とか」
「だから普通に休暇届けを提出すればいいじゃないですか」
「それじゃあつまらんだろう。君も何か考えてくれ、そろそろネタ切れだ」
半ば真剣なのだからこの人は面白い。つくづく守りがいのある人だ。
「……風邪が流行してる時期なら、それに便乗すればいいのでは」
「いいな、それ」
この人の優しさに甘えてしまわぬように、背中だけを見ていなければ。
「准将、ありがとうございます」
来年もよろしくお願いします、と心の中で唱えた。
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