突如として、くくく、と肩を震わせている上官をリザ・ホークアイは、副官としてあるまじき顔で見ていた。
眉間には深く山と谷が刻まれ、視線は辛辣以外表現が出来ない。口元はへの字に大きく曲がっている。
しかしリザのその顔に未だ気が付かずに笑っているロイ・マスタングは、直に腹にまで手を押えるに違いない。なんて平和な男だろう。いや、こんな状況で笑っていられるのだから平和どころか大分おかしい。
「大佐、仕事をしてください」
リザは隣にいるロイから目を離して廃墟ビルから、数十メートル向かいのホテルを双眼鏡で見る。大広間のカーテンは閉め切られているが、相手も警察及び軍部を確認・威嚇しなければならないため、数十センチ程隙間がある。その隙間からはちらちらと人影が動いているのが見えるが、テロリストの人数も人質の人数も把握出来ない。
ロイもはじめは双眼鏡で見ていたが、狙撃手であるリザの方が幾分か視力が良いので、彼女に一任した。
ロイはロイで、警察や自分の部下、ホテルに潜入したハボック隊と連絡、そして指示を出していたが、いつの間にか途切れてしまった。相手も威嚇や声明も出して来ず、しばし停戦状態が続いた。その最中にロイ・マスタングは何故か笑いだしたのである。この状況で面白い事など一つもないので恐らく思い出し笑いだろう。

「人質には政府要人の方もいらっしゃいます。これで怪我でもされたらどうなるかわかりますよね、この立てこもり事件の総指揮官であるマスタング大佐」
「いやいや優秀な部下を持つとついね」
「甘えられても困ります」
「いや、立てこもり事件といったらだな」

今度こそロイは腹を抱えて笑いだし、リザは双眼鏡から目を離した。壁に寄り掛かって、笑いを堪え切れない情けない上司を諭すにはどうしたらよいか部下であるリザは考えたが、どれもこれも効き目がなさそうだ。しかし注意はしなければならないので、とりあえずしらっとした視線を向け、また眼はあっちの建物へ。

「大佐……あっちより先に撃たれたいのですか」
目尻にたまる涙を拭きながらロイは
「いやいや、立てこもり事件といったら君を思い出すなぁと思ってね」
と言った。
「……はい?」
「君、昔、3日間くらい自室に立てこもったじゃないか」
立てこもり事件。リザはそのワードを何度も頭の中で繰り返し、あの忌まわしき事件を思い出す。
カーテンを閉め切り、軋む階段の ―父のものよりもしっかりとした明るい― 音、軽快すぎるノック音、リザと呼ぶ声。
「何故、今更そんな事」
「判らないけど、ふいにね」
「あれ以来、私は自分のためにしか料理を作らなくなりました」
「私には作るだろう、それにあの事は違うと言った筈だ」
「もう食べてしまっているので別です」
部下達が丁度出払っている所為か、ロイは勿論、リザも思わずロイと応酬する。何せ笑っていたのが自分の、その上トラウマと言える出来事だったのだから尚の事である。双眼鏡から眼は離さないが、意識は完全にロイへ向けている。
「私と先生の『まずい』という言葉を、君は自分の作った料理の事だと思ったんだっけなあ」
「あれは貴方と父にも責任はあります。料理を食べながらする話ではないでしょう」
「だから謝ったじゃないか…くっくっくっ……」
「……お尋ねしますが大佐、あれは本当に私の料理の事じゃないんでしょうね」

目線は外さない。あのカーテンの隙間から、大きく人影が動くのを確認する。そろそろハボック隊と通信したいところだが、どうもこうも先程からノイズ音しかしない。ロイが通信機のダイヤルを懸命に動かしたりしているが、いい電波は掴めない。

「君の料理の事じゃない、と何度も言っているだろう」
「さあ。それもどうだか」
「あのなあ……。どれ、たまにはその自信のない料理とやらをたまには私に食わせてみろ。今夜あたり、どうだ」
視線を流せば、思っている以上に真面目な顔で口にしていた。この人、本当に仕事しているのかしら、と疑問する。だがリザもリザで膠着状態のこの時間を持て余していたといってもおかしくはない。
「嫌です。それに作れるとしたら二日後のランチでしょうね」
「百歩譲ってそれでもいい。君との時間は久しくないぞ」
「それはもう毎日のように積み上げられていく書類という名のタワーが崩せないからでしょう。いずれ、あの時計台抜きますよ」
どれ、と言ってロイがリザの横に付く。立てこもり犯がいる建物よりもさらに向こうに見える時計台の針は午後四時になりそうだった。
「あれよりはさすがにならんだろう」
「私の心中としてはあれより越えてますけどね。それにプラスしてこの件の書類も増えるでしょうし」
「……これは二日後のランチもお預けだな……」
「あら、諦めてなかったのですか?」
「ああ、諦めの悪い男で有名だからな、私は」
リザはその宣言に深いため息をついて、降伏宣言。まさか、向こうよりも先になんて癪すぎる。

「わかりました。この件が全て片付いたら、招待しますよ」

ロイはマイクを思い切り掴んで、にやりと笑いながら静かに話し出した。
「俄然やる気が出たな。ハボック、聞こえるか。10分後にR2に突入だ。陽が落ちるまでにカタをつけるぞ」

通じてなかったのではないのか!

いままでの応酬がまさか自分との約束を取り付けるためなのでは、ともいえるタイミングと流れ。色々と錯覚してしまう。
うずまく言葉は飲み込んでリザは一旦愛器の支度に入った。
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