「トリック・オア・トリート、って馬鹿げてるなあ」
やたらにショーウィンドウがオレンジと黒に染まっているところが多い事に気が付いたのは、市内視察の最中だった。
確かにマダムの店の女の子たちは10月後半あたりから客に ―例外もなく私にもだが―「トリック・オア・トリート」と声をかけ、高い酒を一杯彼女たちにご馳走するという肝が冷えるイベントを行っている。
だが、今月は仕事が立て続けにあって店に寄る暇もないものだからすっかりこのイベントという事を忘れていた。
気が付けば10月も最終日、まさにハロウィンの日だった。
「なあ中尉……って、なんだそのトリックされたような顔」
隣の運転席でハンドルを回すべく中尉が何故か驚嘆の目で私の方を見ている。君、前を見てくれ。市内視察中に事故なんて始末書じゃすまない。私の机上の書類が増えて、困るのは確実に君だ。
「いえ、てっきり貴方はそういうのがお好きなのとばかり思っていました」
「ああ、ハロウィンか?」
「ええ」
「はっきり言って、興味がない」
子供がやるなら可愛らしいし、素敵なイベントであることは否定しない。だが大人が職務放棄してまでもそれに乗っかって楽しむのはどうだ。わざわざ仮装までして恥ずかしくないのか。トリック・オア・トリートされる側、つまりは大人も魔女やら狼になるなんてじゃあ人間は誰がやるんだ。
私がここまでハロウィン大人にかぎり不要論を語りつくすと中尉はまたも私を見ていた。先程とは打って変わって懐疑的な目だ。彼女はよくそういう目で私を見る事があるが、今はやめてくれ。前を見てくれ。
「貴方に職務放棄と言われては、国民の皆様は心底不快でしょうね」
「私がいつ」
「昨日、午前10時23分、腹が減ったといって勝手にランチを始めたそうですね。午後2時56分、執務室を抜け出して資料探しという名目で資料室で」
どいつだ、情報リークした奴。
「分かった、分かった。私が悪かった。ところで君はハロウィンは好きなのかね」
中尉はハンドルを回しながら、少し考えて
「大人の方もなさってもいいんじゃないですかね。なにせこんな時勢ですから、少しくらいゆとりがあってもよいかと。ただ私自身はハロウィンはやったことがないので、好きも何も」
確かに彼女の住んでいる地域はハロウィンが盛んではなかったはずだ。たとえ盛んだとしても、父親があのホークアイ先生だ。彼女が魔女の恰好をして可愛らしく、トリック・オア・トリート!と言った所でお菓子を渡すようなタイプの父親ではなかっただろう。
「大佐は小さい頃、ハロウィンは」
「ああ。楽しんだよ。菓子の美味い家にはドラキュラの恰好した後、ジャック・オー・ランタンの仮装して二回貰いに行った」
「その時から姑息なんですね」
抗議の咳払いをすると、失礼いたしました、と心にもない事を言う。トリックするぞ、中尉め。
「ところで君は、ハロウィンをやったことはないのかね」
「はい、と先ほど」
「そうか。ところで今日の夜の予定は」
「いえ、特には。大佐が任務を終わらせていれば、の話ですが」
さっき見かけた店は仮装がありそうだ。あそこでマントを購入して
「大佐、私が昨日夜勤務だって事はご存じですか?」
シルクハットは良いのが見つけにくそうだから錬成するか。
「ああ」
南瓜も大き目のをひとつ購入して、錬成すればどうにかなりそうだ。
「で、今日は日勤なんです。という事は早く眠りたいのですよ。それに私の家にはお菓子はありませんし、そもそも大佐はハロウィンお嫌いでしょう」
「いや、気分が変わった。私はハロウィンが大好きだ。君、いい加減前を向いて運転してくれないか」
私は彼女が運転に集中するように促す。彼女は少し謝って、運転に集中する。
「トリック・オア・トリート、お菓子くれなきゃいたずらしてやるからな」
「帰ってくれなきゃ、撃ちますよ」
私に言われた通り前は向いているが、銃口は見事に私のこめかみだ。隊服着てなきゃ人質とった銀行強盗だと通報されてもおかしくはない。
「言っただろう、ドラキュラの恰好したらジャック・オー・ランタンの恰好する。それでも君が菓子をくれなきゃ狼男、フランケンシュタイン、蝙蝠、ゴブリンにまでなるからな」
諦めの悪さは君が一番よく知っているだろう。でなければあんな野望持ちやしない。
「では大佐が魔女になったら、お菓子あげますよ」
「それは勘弁してくれ」
そんな姿を見られたら、さすがに三面記事に小さく載るぞ。
こめかみを狙っていた銃口をようやくおろして彼女はほのかに笑みを浮かべる。冗談ともとってるのかも知れないが、意外と反応が悪くないのに胸をそっと撫でおろす。
さて、ドアの前でどんなセリフを言ってやろう。顔が最初は嫌がってるのがじょじょにほころび始める様に、年甲斐もなく私は例えるならハロウィンを待ちわびる子供のような高揚感を得る。
「中尉、一概に菓子とはいえど菓子そのものじゃなくてもいいんだ。そうたとえば甘いキ」
またこめかみにあたる銃口は、未だ人肌ぐらいに温かかった。
inserted by FC2 system