「みんなにどうしたのって言われちゃった」
 進路指導室は西日が校内で最も差し込む教室だった。その西日を 一身に浴びながら姉崎は下着に足を通した。
 椅子に座っていた蛭魔も漸く立ち上がり、机の上に放っておいたワイシャツに手を伸ばす。
「先生に呼び出されるなんて珍しいねーって」
「で、なんて答えたんだ」
 様々な匂いが入り混じる部屋の空気を入れ替えたくて姉崎はからからと窓を開ける。 季節は秋の真っ最中。太陽が高い時間帯はTシャツでも平気な くらいだったが陽が落ちるにつれて気温は下がっていく。 寒さはないが足もとから冷気がぞわぞわと襲ってくる。
「進路相談って言った」
「担任でもねーのに?」
「先生と同じ大学に行きたいからって」
「頭いーな」
「でしょ」
 西日をバックにそんなことを言う彼女は余りにも出来過ぎていた。先程まで乱れていた 彼女の姿はどこにもない。しいて言えば目が眠そうなくらいだった。
 蛭魔と姉崎がこんな関係になったのは蛭魔が姉崎の担任じゃなくなってすぐだった。 どっちがこんなことをするように言いだしたのかはもう思い出せない。
 お互いの家に行くことはない。姉崎の家は絶対あり得ないのだが一人暮らしの蛭魔の家にも行かない。 学区外の街で蛭魔に車で拾ってもらい、適当なラブホテルに入って身体を重ねあう付き合い方が1年以上も続いている。
 だが今日は教室で3階の進路指導室に来い、と蛭魔が呼び出した。
「俺の大学じゃ数学頑張らねーと」
「じゃあ先生、教えて。おじいちゃん先生だとちょっとわかりにくくて」
「もうお前の担当じゃねーからな。お前が成績落としてBクラスにくれば直接教えてやる」
「先生も建前気にするんだ」
「まーな。出世したいし」
「大丈夫だよ、先生は」
 蛭魔に背を向けて窓から身を乗り出し、 姉崎は目の前に広がる景色を一望する。 少し目線を下げれば校舎から離れているグラウンドでは野球部がノックの練習 をしているのが見える。青春してるなぁ、と姉崎は目を細める。
「落ちるぞ」
 蛭魔は姉崎を後ろから抱き締めながらそんなことを言った。
「数学以外はA判定ですよ」
「そっちじゃねーよ」
「…見えますよ」
「見えねえよ」
 後ろから回された手にそっと手を絡ませた後、その緩い束縛をすぐに逃れ  姉崎はゆっくりと体を反転させると今日何度目かわからないキスをする。
「見えますヨー」
「…見えないって言ったじゃないですか」
 日はもう落ちかけていて、あと30分もすればあたりは暗くなってしまうだろう。 西日もじょじょに薄くなってきている。
「先生の家ってどのへん?」
「あっち」
 西の方だった。まだ明るい。
「おまえン家は、向こうか」
 東の方だった。すでに暗く、明かりをつけている家々がとてもよく目立った。
「そう」
 姉崎は再び前を向いて次は自分から先ほどよりも強く手を絡めた。たまに 指を動かしあったりしたが、それ以外は特に何もアクションは起きずただ景色を眺めていた。 しかし姉崎の方はずっと西の方を向いていた。
 グラウンドに明かりが着き始めた頃に姉崎が沈黙を破った。
「明日、土曜日ですよね」
 唐突だった。しかし蛭魔は戸惑いを微塵も見せず返答をする。
「あぁ」
「今日ね、お父さんもお母さんもいないんだ」
「なんだそりゃ。夜這いしにいけってか」
「ううん。そうじゃなくて先生の家、行きたい。もっと先生の事、知りたくなったんだもん」
「あのなもっと冷静になった方がいいぞ。ムードに押されてねぇか?」
 きゅ、と手に力が加わるのが分かる。その手は抱いている時よりもずっと熱く、思わず蛭魔の 身体に力が籠る。
「すきなんだもん、先生の事」
 蛭魔は大きく溜息をついた。呆れているわけではなく、今までの苦労を思い出したら溜息 をつかずにはいられなかった。
「だめ…ですか?」
「ダメっつーか制服はまずいだろ」
「あ、そっか」
「着替えて、お前の自宅の最寄りの二つ先の駅で待ってろ。ここに通ってるやつで ここのそこが最寄のやつはいねーからな。時間は19時きっかりに来い」
 よく知っているなと思ったが浮かれて 口元が緩み気味の姉崎にとってそんなことは微塵も不思議に思わなかった。返事の代わりに 再び身体を反転させて蛭魔に抱きついた。
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