人間はなんて貪欲で強欲なんだろう。
それは不思議なもので経験を重ねている筈なのに、年を追うごとににそうなっていってしまう。
小さい頃はその辺に落ちているガラスの破片が丸くなったものを見つければ宝物箱に入れて思い出すたびに取り出しては光に当ててみたりした。
だけれどもいまではすっかりダイヤモンドだとか、サファイアだとか高価なものに憧れてしまう。
でも、ダイヤモンドよりもガラスの破片のほうがよっぽど大切に、そしてきらびやかに見えていたような気がする。
あのときの気持ちを取り戻すようなことは出来ないのか、と思うと姉崎は少し哀しくなった。
外は生憎の雨らしい。サー、という雨音とカーテンの向こうがいつもよりも暗いことから推測できた。
寝起きがいいか悪いかと言われたらいい方だとまもりは自負する。しかし今朝はいつもよりも目が開かないし頭も少し痛い。
「風邪…かな…?」
熱はなさそうだし、関節も咽喉も痛くはないから、おそらく雨のせいだろうと判断をした。
姉崎は朝ごはんを作るために隣に寝ている人物を置いてベッドからするりと抜けた。昨晩、その人物は珍しく酒を飲んで深夜に帰ってきた。
いつもなら姉崎が起きたらすぐ目を覚ますのによっぽど飲んだのか、一瞬死んでいるのかと疑ってしまうほどぴくりとも動かなかった。思わず胸が動いているのを確認する。
「……悪魔も人の子なのね…」
隣のリビングのヒーターをつけ、そのまま歯を磨きに洗面台にいく。
歯磨きをしながら朝の予定を考える。効率よく物事を進めたい姉崎は歯磨きをしながら今後の計画を立てるのが常となっている。そのためか歯磨きをしている時は常に難しい顔をしているらしい。勿論、今日も顔は難しい。
今日の朝ごはんは何にしようかな。昨晩のとんかつが余ってるけど、さすがに朝から
油ものは受け付けないだろうなぁ。
あ、なんかピクニックに行くとか言ってたっけな…カツサンドにして。
でも雨だもんね。んー残念。とんかつどうしよう、昼…夜までもつかな?
で、歯を磨いたらお米といでー…そういえば食パンの賞味期限、今日までだったっけ。
トーストにしよっかな。でも昨日もトーストだったから嫌がるかな。
かといって起こすのもかわいそうだし。
そうこう考えているうちに歯を磨き終え、水道の蛇口をひねり水を出す。
姉崎の掌の中に見る見るうちに水が増す。いつもならそこで口を漱ぐだが、
姉崎は水をそのまま洗面台にこぼした。
左手の薬指に見たこともないものが、絡みついていた。
「…ゆび…わ?」
手の甲を自身に見えるようにひっくり返せば、小さくピンク色の宝石がついている。
このような色の指輪に見覚えはない。つまりは姉崎以外の誰かがこの指に指輪をはめたのだ。
そして家にいるのは姉崎以外にただ一人。
もう一度掌に水を溜め、口を漱いだあと再びベッドルームのドアを開ける。
ドアを開けて、閉めてもまだ起きない人物の横に腰掛け、ゆっさゆっさと体を揺する。
二回目ので漸く目を覚ました彼は眠そうで、ものすごく機嫌が悪そうだった。
「ンだよ…」
声も酒の所為かいつもよりずっと掠れている。その上機嫌が悪いためか低音で姉崎を威嚇した。
「これ、」
手の甲を目の前にある人物に見せつけて、姉崎は再び話し出す。
「ヒル魔くんがくれたの?」
一段と機嫌が悪くなったのか、恥ずかしくなったのかは不明だが姉崎を睨みつけて枕に顔を埋める。
「…さぁな」
そんな姿のヒル魔を見て姉崎は、ふ、と笑みをこぼす。本人の目には見えてはいないがきっと気がついてはいるだろう。
「いつ買ったの?」
「…昨日」
「また急ね」
「んな女モノの指輪、持ち歩けるわけねーだろ」
「まぁ…想像はつかないけど」
宝石店でこの指輪を買っているヒル魔のほうが想像つかないが、姉崎はあえて言わないでおいた。なら返せとか、文句をたらたら言われるのが
嫌だった。
「ねーねー、この宝石、なんていうの?」
「インペリアルトパーズ」
「ふーん。トパーズってオレンジ色だけだと思ってた」
「ダイヤモンドもサファイアもピンクがあるだろうが」
「そういえばそうね」
ヒル魔はうつ伏せ寝の状態からようやく起き上がり、姉崎と目線の高さを一緒にする。
「てめー…」
長年の付き合いとなるヒル魔の目は明らかに怒っているというよりもむしろ疑問を感じているようだった。姉崎には身に覚えがなく、思わずきょとんとする。
「その指輪、どういう意味だかわかってねぇだろ」
その言葉にかちんときたのか、姉崎は語気を荒げてヒル魔に突っかかる。
「失礼ね!意味くらいわかってわよ!私の誕生日プレゼントでしょ!?」
次にきょとんとしたのはヒル魔だった。そして深く溜息をつく。
「なっ!なにその溜息ー!」
「いや、もうてめーには感服した…」
「はぁ?」
眠気も何もかも吹っ飛んだヒル魔はベットから抜け出て、リビングへ行くドアを開けた。
姉崎も続けてリビングへと向かう。
いつもどおりのテーブルの位置につき、「コーヒー」と一言姉崎に頼む。
「はいはい。ってさっきのなんだったの?」
対面キッチンから問いかける姉崎に聞こえないだろう小さな声でいずれわかる、とヒル魔は
答えた。
「今日、どこか行く?」
ケトルに火をかけながら姉崎は再びヒル魔に問いかけた。
「あー…おまえの実家」
「え、なんか用?私、昨日行ってきたばっかりだよ」
やっぱり一生分からねぇかもしんねぇ、とヒル魔は確信した。
いつもはつけない朝のキッチンの蛍光灯。雨の日は手元が暗いのでつけている。
コーヒーが淹れるのを待ちながら姉崎は指輪をその光に当てる。
きらきらと煌びやかにうつる指輪とその宝石。
まるで小さい頃のように…いやそれ以上にどきどきして、ずっとずっと大切にしたいと思った。
ヒル魔くん、と呼ぶ。そういってヒル魔は振り返ったり返事することない。
勿論、今日もしなかった。姉崎はそれでも続けた。
「ありがとう」
最上級の、愛をこめて。