一か月ぶりに逢った彼女は自身がよく知っていた時よりずっと華奢になっていた。
 赤い拘束衣を身に纏い、頭を項垂れる彼女をもうこれ以上は見ていられなかった。
 だから前だけ見続けた。ただ、前だけを。


 これは朝の話。
「…ねぇ、お兄様。久しぶりにわたくしのわがまま、聞いていただけますか?」
「あぁ、なんだい?」
「夜のピクニックに行きたいんです」

 自身の体力のなさには数か月前にユーフェミアと逢った時に自覚はしていた。
 無人島での食糧確保のために獣の落とし穴を少し掘っただけで息が切れ、挙句の果てにはユーフェミアの果物だけが夕飯となった。
 だがさすがにこの丘だけは登り切りたい、背負った妹に対しての少しでも兄の威厳を見せたいルルーシュはあの時と同様に息を切らしていた。
 いくらナナリーが華奢でも、夜だとすっかり涼しくなった季節でも汗が額から噴き出し始めていた。そんな兄の姿にナナリーは思わず声をかける。
「お兄様、大丈夫ですか?バスケットだけでも持ちましょうか?休憩してもいいですし…」
「い、いや。この、丘の傾斜はっ、おそらくっ、11度…だから大した距離は、ないん、だ。頂上まで、あと少し、だから、平気だ、」
 ここで無理矢理降りてしまえば兄ががくりと肩を落とす姿が目は見えなくとも想像がつく。
 ナナリーは少しでもルルーシュが楽になれるように肩にしがみついた。

 頂上にたどり着くと、ナナリーを適当に座らせレジャーシートを敷いて座らせなおす。
 冷えるのは足に悪いからブランケットをナナリーにかけた。感謝の言葉の代わりに笑顔をルルーシュに向けた。
 ルルーシュはポットに淹れたお茶を飲み、一息つくとようやく切れた息は元に戻りつつあった。
「ふたりっきりって久しぶりですね」
 とナナリーは嬉しそうにそういった。
「そうだね」
 そのままルルーシュは空を見上げた。この季節の空は澄み切っていてその上新月だったためか、星がいつもよりよく見えた。
「…お兄様?どうかしたんですか?」
「あぁ、星を見ていたんだ」
 ナナリーも顔を上に向けるが、彼女は常に闇しか見ることが出来ない。
 口にしてからしまった、と思ったルルーシュだが利発な妹は兄に気を使い、どのような星か説明を求めた。
「昔、アリエス宮で見た星のようだよ」
「まぁ、そんなに素敵なんですか?」
「あ、いや、ま、そこまでではないんだが、新月だからいつもより見えるというかなんというか」
 うろたえる兄にナナリーは思わず笑い声をあげた。
「な、ナナリー?」
「す、すみません。最近のお兄様、何かに悩んでいるようだったから…そんなお兄様が見ることができてうれしいんです」
 黒の騎士団を率いるゼロとして暗躍するルルーシュは最近、家に帰ることができていない。
 その上、明日の行政特区日本の開催式典の件がルルーシュの頭を悩ませる。  どの方法がナナリーを幸せにできるのか、それがルルーシュの全てだった。
「いや、そんなことないよ、ナナリー」
 ナナリーに見えてはいないが微笑みをルルーシュは投げかけた。しかしナナリーの顔は曇った。
 我ながら嘘が下手だな、と自嘲する。
「だから今日はお兄様が元気になるようにって、ピクニックに出かけようと思って…」
 ナナリーはバスケットからランチボックスを取り出し、ぱかりと開けて見せた。
「これは…?」
「ライスボールです。日本語でおにぎりというらしいんです。咲世子さんに教わって作ったんです」
 大きなライスボールが二つ、ランチボックスに入っている。
「初めてつくったんで味に自信がないのですが…食べていただけますか、お兄様」
「勿論だよ、ナナリー」
 ライスボールにかぶりつくと口に中に少しばかりしょっぱすぎる味が口の中に広がる。だがルルーシュにとってナナリーが自分のために作ってくれた物はすべて嬉しい。
「お味はどうですか?」
「とてもおいしいよ」
 よかった、と満面の笑みをナナリーはルルーシュへ投げた。
「今度は皆さんでライスボールを作ってこんな風にピクニックにいけたらといいですね」
「じゃあ今度会長に話しておこう。ライスボールパーティーとか」
「それ素敵です!じゃあ指きりしましょう!」
 小指をルルーシュの前につきたてて、指きりのポーズをする。
「針を千本飲ませる歌、だっけ?そんなことをしなくても大丈夫、俺は嘘をつかないよ」
「だめです!お兄様は夕飯までには帰るっていって帰って来なかったりするんですもの、心配なんです」
「はいはい」
 ルルーシュも小指を絡ませてゆびきりげんまんを歌う。
「絶対ですからね!」
「あぁ、わかったよ、わかった」
「お兄様ったら、その生返事、いけませんわよ!」
 堪えぬナナリーの笑顔を見てルルーシュは誓った。絶対にこの笑顔だけは守り抜こうと。
 たとえどんな道を辿ろうと。明日、どんな結果になろうと。


「皇帝陛下、明日の反逆罪で逮捕された者たちの公開処刑の段取りの説明にまいりました」
 自室のイスにどっぷりと腰掛ける皇帝に資料を渡し、説明を始めた。
 説明、といってもプログラムを組んだのは皇帝自身である。言われても一番理解しているのは自分であるから側近の言葉はほぼ受け流していた。
 一通り側近の話が終わった後、皇帝はようやく口を開いた。
「おい」
「はい」
「今日は新月か?」
「は、はぁ?」
 側近は少し考えて窓から外を見た。月の姿は見えない。
「おそらく新月かと」
「…そうか」
 少しだけ間をおいて皇帝は口を開いた。
「少し、腹が減った。」
 再び皇帝の突拍子もない言葉に側近は少し戸惑ったが、すぐに切り替えて、では夜食をお作りいたしましょう、といった。
「なにかお食べになりたいものはございますか?」
「あぁ、ライスボールを頼む」
「ら、ライスボール、ですか?」
「あぁ、それをテラスに持ってきてくれないか?」
「…かしこまりました」
 あからさまに怪訝な顔をしながら側近は部屋から出て行った。
 皇帝は側近が出ていくのを確認するとテラスへと出る。すっかり涼しくなった夜は夏よりも空を美しく見せ、新月のおかげで星がはっきりと見えた。
「あぁ、星がよく見えてよかった」



「ナンバー07」
 それが彼女のここでの呼び名だった。
 彼女は監視者に呼ばれても振り向くことなく牢の中にある小さな小窓から見える夜空を見上げていた。
「明日、死刑執行である。死刑になる者は最期の夜は自身の好きな夕食を食べることが可能である」
 彼女の肩が大きく揺れた。振り向かず、彼女は言葉を発した。
「なんでも…いいんですか?」
「あぁ。フォアグラでもなんでも食べたい物をリクエストするといい」
「…最期の晩餐ということですか?」
「つまりをいえばそうなるが」
 なら、と彼女はいったん挟んで
「ライスボールをお願いします」
 といった。
「ライスボール、だと?そんなものでいいのか?」
「えぇ、そんなものでいいんです」
 また夜空を見上げた。

「星がよく見えてよかった」


 あのころに戻れたら、なんてわがままは言いたくはない
 ただ彼と明日を生きていきたかった。
 彼女の願いはとてもありきたりだった。
 彼もそう思っていたかどうかなんて、もう想像でしか考えられないけれど。
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