あれは忘れもしない。
 いや、正式な時刻やらなんの取材だとかそういう概要はすっかり忘れてはいたが(事実、俺は数 年ぶりにこの学校新聞を見て思い出したわけだし)その記事についてトガに突っ込まれて後、顔 に血液が一気に回って呂律が回らなかったことは今でも明確に覚えている。
 トガは特に言及をしてこなかったものの、あのあと俺は数日考え込んだ。何故俺はその質問事 項に対してそう返答したのだろうか。
 最低でもあの時はそんな風に思ってもいなかった。範疇外ではなかったとは思うが(そりゃ男 とばっかつるんでたような男が行き成りあんな女と毎日顔合わせれば意識しない方が難儀だろう)
 マネージャー、セナの姉ちゃんと認識していたあいつが卒業するまでの2年、1年のブランク を挟み大学での3年の計5年間、恋愛感情の「れ」の字も生まれてなかったのに。あいつが卒業 した時、淋しいというよりは「時とは無情な物でこうして別れを頼んでもいないのに流してその 上根こそぎ持っていってしまうのだな」と柄にもない感情が浮かび上がるだけだった。そして言 うまでもなくこれは蛭魔やら栗田達にも向けられた。特別扱いなんてした覚えなんてなかったのに。

「なんだよ…喜ぶ差し入れ「レモンの蜂蜜漬け」ってよー…」




   




 随分と昔の話になる。小学生の時の事だ。ここは単なる体験記なので読み飛ばしてくれても構 わない。
「俺は終戦以来病気なんてしたことないんだ。俺は老衰で死ぬだろうなァ」という言葉が口癖だっ た祖父が病気であっさり亡くなった。
 近所のオバサンなんかは「あんな元気な人が…ねぇ」なんて言っていたが俺から見たらやはり病 気になる要素は多々あった。大酒飲みで煙草をスパスパと吸い、ジジィにも関わらず油モンを好む。
 アルコール・ニコチン・コレステロール。「健康」という文字とは真逆にいるモノを自ら快く 摂取しその上健康診断などには一切参加しなかったような人物が病気に罹らない筈もない。
 勿論その3つを摂取しても病気にならない人はゴマンといる。病気の原因がそれらではない可 能性も高い。だが「まさか病気で死ぬなんて」という言葉を3つ摂取している人物に対して投げ かける言葉ではないだろう。特に「健康志向」という言葉が錯綜しているこの世の中では9割も の人々が「原因はそいつらだ!!」と一方的に決めつけるであろう。
 それなのに何故祖父は「まさか」を得たのか。祖父は「健康な自分」を死ぬ直前まで演じきっ たのだ。家族以外の前では煙草を吸わず、酒も飲まず、ベジタリアンというアカデミー賞主演男 優賞を受賞しても良い程の演技力を奮っていたのである。そこに対して何故プライドを持ってい たのかは今は解らないが俺には理解しがたい箇所に固執するという点においてはさすがは親父の 親父だなとは思う。
 そして近所のオバサンから「あんなに元気な人がまさか病気で死ぬなんて」という恐らく祖父 にとっては称賛に値するであろう言葉を最終的には得た訳だ。
 長くなったがつまり、だ。
 結局の所何が言いたいかと言えば、最終的に辿り着く場所・結果には何らかの原因があって 「まさか」という言葉はないという事を幼いながら祖父が亡くなった事で気がつかされたわけで あった。

 月日が経ち社会人としての生きていた俺は数年前、転職した。その先は奇しくもアメフト関連 だった。「奇しくも」というのは間違いかも知れない。転職するとしたらアメフト関連だよなぁ、 なんて大学卒業してすぐ入社した商社にいた頃から考えていたので「奇しくも」というよりはむ しろ「必然的に」と言った方がずっと正しかった。
 そしてその転職先にあいつはいた。どうやら話を聞くとあいつも俺と同じで転職組だった。そ りゃあれだけアメフトを叩き込まれてそれどころか馬鹿みたいに飲み込むのも噛み砕くのも早か った奴がアメリカンフットボールから未練もなく離れられる訳もないだろう。
 そして入社して数ヶ月後、俺はひょんなことからその女と付き合うことになったのだ。いや本 当にひょんなこと過ぎて言うのもつまらないので割愛する程ひょんなことだった。
 もちろん友人に報告はした。当時二人して彼女がいなかったあいつらに報告するのは若干躊躇っ たがしなければしないで更に大きい報復が待っているので飲むついでに報告をした。想像するま でもなくあいつらは「ハ?」「ハァァァァァァ!?」という懐かしい響きだがどこか物足りない 言葉を俺に浴びせた。「なんで」「どうして」「高校の時何もなかったじゃねぇか!」と矢継ぎ 早に言われ、俺がそれらの言葉への返答は一言、
「それは俺が聞きたい。俺だってまさかあいつと付き合うとは思っていなかったんだ」
 そして順調に数年を経て、俺はあいつと結婚することになった。プロポーズをしたのは俺だっ た。あいつはこくりと頷き、プロポーズを受け入れた。
 それと同時期に高校のアメフト部のOB会がありそこで同期の奴らに結婚報告をした。モン太 にはキレられるわー泣かれるわー散々だったが予想していた通りだったため心的被害は最小限に 抑えられた。黒木とトガはそれほどまでの驚きはないようだったものの「先越されたー!!」と 大騒ぎをされた。それよりおまえらは相手を見つけろと言いたかったが流石にその台詞を俺が吐 いちゃキレるだろうと思い慎んだ。
 セナと蛭魔はあいつから既に報告済みだったようだったが…いやもう思い出したくもない。あ いつの家族への結婚報告よりも恐ろしい思い出であった。思い出にもしたくない。魔王よ、俺の 目を見つめてどうかあいつらの花嫁の父親かの如く冷やかな眼で見つめられた記憶を消してくれ、 頼む。給料五か月分というあいつに渡した婚約指輪よりも多い金額を出すから。
 しかしそれらを除いては一貫して「何故おまえらが」という言葉で始まった。そして俺の返答 も
「それは俺が聞きたい。俺だってまさかこいつと結婚するとは思っていなかったんだ」
 そう。俺たちが付き合い、結婚したのは「まさか」だったんだ。ありえないと思っていた「まさ か」が俺にも起こった。


 だがその「まさか」はやはりあり得ない。というのをあいつの部屋でまさに見つけてしまった のである。この俺の左手に握られているこいつが証拠として今存在をしているのだ。俺の記憶が 正しければこの新聞の数号後に「姉崎マネージャーお手製レモンの蜂蜜漬けのレシピ大公開!!」 なんて特集記事が組まれた。これじゃあ完全に当時の俺が姉崎マネージャーが好きという図式が 完全に出来あがってしまったではないか。確かにあいつの作ったレモンの蜂蜜漬けはうまかった。 それにしてもそう答える必要はないだろうよ、当時の俺。
「…なに落ち込んでるの?」
 声を背中越しに投げられる。振り向くとエプロンを身に纏い、腰に手を当てるというこいつに とっては高校時からの定番ポーズで佇んでいた。昔と違うのは制服やジャージではなくTシャツに ジーンズ、モップではなくクイックルワイパーを持っているところであろう。
「落ち込んでるように見えるか、やっぱり」
「うん。とても」
 背中がそういってる。といって俺を覗きこんだ。
「何、ラブレターでも見つけちゃった?」
「それはさっき見つけた。捨てろよ、気色悪ぃ」
 今も尚握られている古新聞を発見する前に俺は箱に入った大量の手紙の山をタンスから発掘し ていた。(通称・ラブレターBOX)そこにはあいつが今までに貰って来たラブレターが入ってお り、盗み見たれと思い読むと「私の翼、姉崎まもり様」とはじまり散々相手を詠った詩を書いた ものやら、便せん30枚にも渡る最早小説のようなものなどがあった。あいつにもそれを渡した奴 らに対しても居た堪れない気持ちになってそっとその箱の蓋を閉じた。
「えー、捨てたくない」
「おまえ絶対読み返さないだろ」
「たまに読み返すよ。証拠として一番上に乗ってた手紙は『私の翼、姉崎まもり様』だったでし ょ?」
「邪魔だし」
「あ、やきもち?」
「ちげーよ」
「あー、やきもちだーやきもち」
「…勝手にそう思ってていいから捨てろっつーの」
「だって捨てられないんだもの」
「じゃあ俺が捨ててやるから」
「いいよ、捨てなくて。折角の気持ち大事にしたいから」
 俺は大きく溜息をついて若干の厭味をこめて
「おモテになる姉崎先輩は違うな」
 と言ってやった。そう言われた姉崎先輩はふんぞり返って
「そんなこといって、一輝くんこそラブレター全部取ってあるの知ってるんだからね」
「はぁ!?なんでそれ知って」
「おモテになる十文字一輝くんは違うなぁ〜」
 俺が発したトーンと同等のトーンを口にする。えびす顔が忌々しいったらありゃしない。
「…俺のはラブレターじゃない。ファンレターなんで」
 我ながらうまい返しだな、と悦に浸っていると
「プリクラ入っててかわいい女の子のファンレターとやらは特別に輪ゴムでくくってるくせに?」
「中身までチェック済みかよ…」
「まぁ子供からの手紙もしっかりとってある所も一輝くんらしいけどね」
 なんとなく敵わない。決定的ではないが、いつも敵わない。高校時代退部しようとした俺達を 泣いて引き止めるわけでもなく怒り狂って退部を促すわけでもない。そっと解いて、そっと俺達 の場所帰ってくる場所を開けている。それは付き合ってからも同じだった。数え切れないほどの 喧嘩もした。向こうが謝ることもあれば俺が謝ることもあった。だがそれでもあいつは俺を許し、 俺が彼女を許す余地を開けて置いてくれている。
「で、なんで落ち込んでるの?」
 彼女は持っていたクイックルワイパーを段ボールに立てかけ、俺の隣に座り寄り添った。こう いうところも敵わないと俺は思う。
 それはさておき何から口にしたらいいのかしばし考え
「おまえさー…俺と付き合うなんて高校時代思ったことあった?」
 といった。彼女は
「正直考えたこともなかった」
 と即答した。
「ヤンキーとは付き合うことはないだろうなって思ってたし」
「まぁおまえの性格じゃな」
「年下男と結婚って未来予想図描いてなかったし」
「年下=弟って図式が出来上がってるもんな」
「アメフト部では恋愛には発展しないだろうなー、って思ってたもの」
 でもね、といって俺へ向けていた視線を空に放った。その横顔はやはり昔よりも若さは失った ものの、凛としていた。不覚にも見惚れた。そしてゆっくりと口を開いた。
「不思議なものでいざそういう結果が導き出されると『過去をさかのぼるとどう考えてもこの人 との結婚以外の選択肢ってなかったな』って必然だなって思えるのよね」
 彼女はまた立ち上がりクイックルワイパーを手にとって再び定番ポーズをとった。俺はその様 子をただじっと見つめる。なんという勇ましさだ、まるで女戦士のようだ。
「新居への引っ越しは明日なんだからちゃっちゃと終わらせましょ。その先には結婚式も待って るわけだし、ね?」
 再び笑顔を見せ、くるりと振り返って何事もなかったかのように再び引っ越し準備という名の 戦場へ向かう。まったく敵わない、姉崎まもりには。
「まもり」
 鼻歌を響かせながら隣の部屋へ移動しようとしている彼女を引き止めた。笑顔は消え、「は て」「きょとん」という言葉が的確という顔をしている。俺の普段とは違う空気を悟った彼女は ドアノブに手掛けるのをやめ、律儀にしっかりと振り向いた。俺もそれに倣い、胡坐を掻いてい た膝に手をしかと置き、
「これからもどうぞよろしくお願いします」
 仰々しく頭を床につくほど降ろす。顔はあの時トガに突っ込まれた時と同様に血が集まるのが わかった。
「…こちらこそ、よろしくお願いします」
 と若干高めの声色でそういった。俺が頭を上げると彼女も丁度頭をあげるところだった。それ どころかご丁寧にクイックルワイパーまで壁に立てかけて。馬鹿みたいに真面目な女だこと。

 君と僕、こうなるために生まれてきたんだ、なんてくさい科白を吐くつもりなんて更々ない。
 だが全ては「まさか」のようで「まさか」ではない。全ての出来事が結果につながっていくの であると。例え「まさか」だとしても、やはりそれは「まさか」ではない。きっと俺はずっと出 会う前から好きだったのだろう。彼女を。
 そしてそれは彼女も同じだろう。

 あ、と大きな声を出してとっくに引っ越し準備の終わっている隣の空っぽの部屋の床掃除をし にいこうとここを出た彼女は廊下からドアの隙間を利用して顔の十字傷をバツが悪そうに掻く 俺を覗き見た。
「何?」
「実は私、嘘ついてたことがあってね」
「………実はセナか蛭魔と結婚したいとかそんなんじゃないだろうな?」
 というと違う違うといって大笑いをしていた。おいおい、こっちは半分冗談半分本気なんだぞ この野郎。笑い事なんかじゃない。
 まもりは狭すぎるドアの隙間を更に狭くして話し始めた。
「十文字くんと付き合うなんて考えたこともなかったってあれ、嘘」
「…はぁ?」
「それ、」
 といって指さすは俺が今もまだ握りしめている古新聞。背中に汗が噴き出すのを感じ、大した 間はないはずなのに、数時間も経ったような感覚に陥る。俺の顔は赤みはすっかり引き、むしろ 引き過ぎて蒼白となっているだろう。口元がひきつっていく感覚も痛いほどによく判る。そして あいつの口がまたもゆっくりと動く。
「…引き出物、レモンの蜂蜜漬けでも作ろうか?」
 最早捨て科白に近い言葉を吐いて彼女はドアをぱたりと閉めた。あのドアの向こう側ではあの えびす顔を浮かべてるに違いない。スリッパの音も心なしか機嫌がいいじゃねぇか。あー忌々し いったらありゃしねぇあの女!
 姉さん女房にカカア天下街道まっしぐらか、上等じゃねぇか。一生勝てない勝負に挑んでやら あ!さぁ初陣はどうしようか、どうやって攻めようか。俺は元ヤンだからな、正攻法は趣味じゃ ねぇんだ!
 俺は持っていた新聞を床にたたきつけ、そのまま捨ててやろうと思った。
 しかし、こんなものを大切に取っておいたあいつにもやっぱり敵わないので手始めにとしてラ ブレターBOXの中身を全て捨てて代わりにこの新聞を仕舞ってやることにした。




                 






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