足が痛くなったのは私が「大丈夫アル、夜兎はこんなんで歩けなくなるなんてならないネ」と言ってからすぐのことだった。黒いエナメルでかわいくてシャープなぺたんこ靴は地球人、特に小さくて細っこい日本人の足形に作られていて、宇宙人である夜兎の足にはどうやら合わないようだった。縁の部分に足が食いこんでその部分が赤くなって靴ずれが出来ていて悲惨そのものだった。夜兎は自己再生能力は宇宙一だけれどその分とても痛みに弱いと思う。その痛さから回避するために私達はより強く進化したんじゃないかな、と思える程に。
 痛いのなら履いてきた靴を履けばいいんだけれど、たくさんの返り血を浴びてきた靴は履くのは勿論見るのすらも億劫で店でそのまま捨ててしまった。畜生、チャラついたものはやっぱり駄目だ。あんなに豪語してたのにまさかチャラついたものを買うなんて、きっと江戸の空気に充てられたんだ。
 でも先の台詞を言ってしまったあとで前をすたすたと歩く銀ちゃんに「ごめん、やっぱ痛い」というのはすごく癪だった。痛い、といえばすぐ近くの靴屋に入ってもっと履きやすいものを買ってくれることは解っているのにどうしてもそれはしたくなかった。強がっちゃって、あの時の自分、本当にあほ。でも出会って3日でそんなこと言えるわけないじゃない?気を紛らわそうと愛傘をくるくると回してみたり髪飾りのたらりと垂れた紐の部分を軽快に揺らしてみたりしたもののやはり足は痛かった。熱を強く持った足と私だけが同じ世界にいて、他は皆、分離しているようだった。
「寝巻はお妙のお古でも貰うか。服はやっぱ中国風がいいわけ?めんどくせーけど横浜まででっか」
 その時の銀ちゃんは私の買い物のはずなのに私よりも真剣に店選びをしていた。安くてかわいい女の子のお店。今思えば江戸の右も左もわからない私に気を使っていたのかもしれない。証拠に後にも先にも銀ちゃんが人のために真剣に店選びをしている姿はコンビニで私の肉まん(安くてでかいやつ)を探すために江戸中を駆け巡ったぐらいしか知らない。
 だけれどその心遣いも私にとっては苦行でしかなくてその時は寝巻も明日着る服も下着すらもどうでもよくなっていた。兎角早くあの万事屋に帰ってこの靴を脱ぎたかった。
「もういいアル」
 3メートル先から振り返って銀ちゃんは私の顔を怪訝な面持で見つめている。両手に私の荷物をたくさん持っているんだけど、それを今にでもすべて落としてしまいそうな程脱力しきっていた。あぁ、せめて湯呑みだけは割らないで。うさぎ柄でかわいいやつなんだから。
「はぁ?もういいってお前」
「眠いアル。笑点見たいネ」
「眠いのに笑点見るなんて矛盾してるだろ。それに今日は月曜日だ」
「疲れたアル。帰って筋トレしたいネ」
「いやいやお前それおかしいから。筋トレしてる姿見たことねぇし。つーかさっきまで靴買ってテンション高かった癖に」
 靴という単語を口にして銀ちゃんは私の足元に視線を流した。咄嗟に痛みがより酷い方の足を後ろに回した。しかしそれが逆に痛さを煽って少しだけ顔を顰めてしまった。
 その姿を見て銀ちゃんは大きく溜息をついて再び背を向けたと思いきや、目の前でしゃがんだ。
「なんアルか?うんこ?」
「なわけねーだろ、猥褻物陳列罪その他諸々で逮捕よ逮捕。ま、ほれ、あれだ、背中乗れよ」
 こんなことになるなら原付でくればよかった、かろうじて耳に届くほどの声でぶつくさ文句を言って背中で私を待ち構える。
「まだ歩けるアル。それに私、子供じゃないネ」
 じんじんと鈍い痛みを伴い続ける足と銀ちゃんの背中を交互に見て私は言った。その背中はとても大きくて私が感じたことがない何かを持っていた。それは私がきっとずっと心のどこかで求めていたものだったんだと思う。そうでなければその背中に魅かれて今にでも抱きつきたくなるなんてならないもの。それでも当時の私は人には靡かないという信条を持っていてがんとしてそこから動かなかった。頑固なのは親ゆずり。だから私はあの星から出なかったんだ。マミーに耳にタコというくらいこの星から出て行きなさいと言われても岩のように私は動かなかったし、雨天の中パピーを待ち続けた。ずっとあそこで生きていくと思ってた。マミーの御墓に寄り添ってずっと二人で生きていくつもりだったんだけど。
 だけれどそんな私と同じレベルで銀ちゃんも頑固だった。― 頑固者同士で生活を共にしあうなんてうまくいかないだろうなぁと少し思った、経験上。― 銀ちゃんは飄々とした声で
「お前は夜兎だから知らないだろうけど江戸じゃ大人でもおんぶすんの」
 と言った。
「嘘つくんじゃないネ。周りの大人誰もしてないアル」
「それは子供だから大人の世界を知らないんだ。真夜中の江戸、特にかぶき町界隈うろついてみろ、おんぶだらけだ。見せてやりてぇところだがなお前はまだ子供だからな、残念ながら見せられねぇんだ」
  「荷物いっぱい持ってるアル」
「大丈夫、大丈夫、俺、おんぶずまんだから」
 周りの人たちが回避しつつ、野次馬顔で私と銀ちゃんを見つめてくる。道のど真ん中、しゃがみこんで背中でさぁ来い、と待ち構える男と傘を広げてそれを見下ろす少女がいたら興味のひとつやふたつ湧くに決まっている。このままだと人だかりになりかねない。その時はそんな理由をつけて銀ちゃんの背中に乗った。傘は畳んで右手で持った。
 初めて乗った背中は厚みがあってとても固い。乗り心地がいいとは決して良くない。だけど絶対的な安心感が私を包んでおんぶというよりむしろ抱っこされているような感覚に陥る。さっき途中で食べたいちごパフェの匂いがする。
「おっこらせ」
 浮遊感のあと足の痛みが和らいだ。地上から離れて足に体重がかからなくなったのと、銀ちゃんが靴を脱がしたからだ。私の空いている左手に靴を持たせてゆっくりと前後に揺れて進んだ。視線の高さが思っていたよりも高くてわずかだけれど困惑する。
「重くないアルか?」
「安心しろ、俺はかぶき町一のおんぶずまんだから。万事屋銀ちゃんだけでなくおんぶずまん・銀ちゃんとしても名を馳せてるんだ、どうだすげェだろ」
 周りの人は子供にしては等身の大きな私を見てくる。興味津津、あら何かしら、どこの人かしら、それが顔にはっきりと書いてあるのにいざ目が合おうと皆、私は見てませんという顔をする。あーこれだから地球人は嫌ヨ。まぁ夜兎のようにいちいち突っかかって来るのもタチが悪いけれど。
「周りの人、見てる」
「おまえが見てるから見てんの。傘差せ、傘」
 言われた通り傘を差して肩に柄をかける。すると周りの人々は本当に見えなくなって、銀ちゃんの頭と前にまっすぐ続く道しか見えない。世界に銀ちゃんと私だけが居るみたいだった。
 時間が経過するに連れて私のお腹と胸や触れているところから銀ちゃんの熱が集まってきてそれは優しくゆっくりと全身に渡っていく。今まで冷たいところに生きていた私を少しずつ温かくしていくかのように。更に先程までのやり取りを反芻するとこの時の身体は痛かった足よりももっと熱を帯び始めてしまい、あつくてあつくてどうしようもなくなってしまった。絶対的な安心と優しさに満ち溢れた彼に3日目になって気がついたのだ。私、本当にあほ!
「ありがと、銀ちゃん」
 小声で話したつもりが傘に籠ってまるで世界中に響くかのように大きく聞こえてしまってまた全身が熱くなった。
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