「ゼロ」
 もう彼是何年になるだろう。僕がそう呼ばれるようになって随分と経ってしまった。
 人々はいともあっさりとに痛みを忘れてしまっているのに僕だけが、否、ゼロだけが亡霊のように生き続けている。
 ゼロは英雄でもなんでもない。所詮ブリタニア人は勿論日本人だって悪党は憎み続けても正義のヒーローは新たに現れれば上塗りされ、忘れ去られてしまう。
 最早「ゼロ」という存在は「ゼロ」の手によってギアスにかかってしまった人々のストッパーでしかない。
 
「はい、ナナリー様」
 ゼロ、と呼んだ彼女に僕はそう返事をした。
「今日はもう結構です、お疲れ様でした」
 彼女は簡単に机上を整理し、そして続けた。
「でももう少し私に付き合ってください」
 彼女は車椅子を動かし、部屋から出て行った。僕はその後に付いて、すっかり履きなれてしまったカッコつけたような音のする靴を鳴らしながら歩く。長い廊下の途中、車椅子の補助を申し出たがそれはさりげなく断られてしまった。
 普段からこの階は人通りが少なく、省エネ対策で蛍光灯も少ない。それに輪をかけて静かな廊下に違和感を覚えつつ、僕は普段使用しない部屋に通された。その部屋は随分と簡素なつくりで絨毯とテーブルとソファーがぽつりと置いてある会議室のようだった。
 そしてテーブルの中心には、箱が置いてある。この箱には見覚えがあったから、確認しなくてもわかった。かつて僕が別の人間だった頃、生徒会の皆で食べに行ったことがあった。あの時の記憶は今もなお鮮明に残っている。あのときは確か僕がモンブラン、会長がミルフィーユにリヴァルがシュークリーム、カレンは抹茶ムース、イチゴのババロアはニーナ、そして彼女がシフォンケーキ、あいつは確かチョコケーキだったかな。
 彼女は器用にテーブルに車いすを寄せて、その箱を開けた。想像通り、ホールのショートケーキだった。
「今日は知り合いの方のお誕生日なので」
 座って、といって腰を下ろすように促しお言葉に甘えて僕はどっぷりとソファーに座った。
 彼女は向かい合うようにして車椅子を動かし、僕の顔を見つめる。
「蝋燭に火をつけていただけますか?」
 ケーキの隣りにはマッチが用意されており、言われたとおりに火をつけた途端部屋が暗くなって炎だけが部屋を灯した。
 どうやら彼女の手には照明器具を操るリモコンが握られているみたいだ。
 ぼんやりと笑う彼女に僕も仮面の下から笑みを零すと、彼女からは見えないはずなのに長い間盲目だった所為か、空気で僕がどういう顔をしたかわかるようで先程よりも満足気に笑って見せた。
 一緒に歌ってください、といわれ誕生日を祝う歌をひとしきり唄い彼女は僕に
「火を消してくださいませんか?」
 と言う。
「それは…ちょっと難しいですね。仮面を外さなければならないわけですから」
 そういうと彼女は器用に車椅子を回転させ背を僕に向ける。
「では見ません。これならいいでしょう?」
 気丈な声で彼女は僕にそう言った。
 大丈夫です、人払いは済ませてありますと続けた。道理で静かなわけだ。
「では、お言葉に甘えて」
 仮面を口元が出てくるまで上げ、ふ、息をかければ途端に暖かな炎は消えた。
しかし外の街灯の所為で部屋は真っ暗にはならずに済んだがさすがに仮面をつけている身としては行動がしにくいので彼女に電気をつけてもいいか投げかけた。
 しかし彼女は
「いえ、電気はつけません。そのまま…ケーキを食べてください」
「私がですか?」
「えぇ。私はこのまま後ろを向いておりますので」
 またもマッチ同様、用意周到に置いてあるナイフでケーキに切れ目を入れ一切れだけ皿に盛って漸く僕は仮面を外し、隣に置いた。
「頂きます」
「どうぞ、召し上がって」
 ケーキを口に運べば中では優しい甘さが広がり、疲労だとかプレッシャーを少しだけ忘れさせてくれる。
「おいしいですか」
「えぇ、とても」
「それはよかったです」
 一間を置いて僕は口を開いた。
「この方とナナリー様はどのようなご関係で?」
 彼女は一瞬肩を揺らしたが、またも気丈に答えた。随分と僕も意地悪になったものだ、と思う。彼女だけは傷つけないと決めたはずなのに。
「大切な方でしたわ。とても」
「…好きだったんですか?」
「ふふ、あなたが想像するようなものではありません。その方にはお相手がいらっしゃいました から」
「へぇ」
「その方はとても愛している方の親友だったんです」
「そうなんですか」
「とても私のことを大切にしてくださって。優しくて、運動がお上手でカエルのモノマネ も上手くて」
「なんでもできる方だったんですね」
「万能でしたわね。ただ」
「ただ?」
「嘘つきでした」
「嘘?」
「はい。愛している方と一緒になって私に嘘をつきました」
「嘘つきはお嫌いですか」
「えぇ、今でも私は許すことができません」
「ナナリー様にしては珍しいですね」
「この思いは私が死ぬまで持っていこうと思ってるくらいですわ」
「はは」
「もうこの世界にはいらっしゃらないので」
「そうですか」
「………こんなことをするのは意味のないことなのでしょうか」
「…いいえ、そんなことはございません。このケーキの相手はとても喜んでいます。 こんな風に祝ってもらった事、ないんですよ、彼。ナナリー様にこのように祝ってもらえて彼は幸せ者です」
 そういうと彼女は少しだけ泣いているようだった。
 鼻をすすり、肩を少しだけ揺らしている。
「また、来年の7月10日、付き合ってもらってもいいですか?」
 彼は死んでなんかいなかった。しっかりと彼女と、そして僕の中に生きている。
 また彼は歳を取っていくのだ。
 僕は仮面をかぶり直し、彼女の前に立ち手をとってはい、と返事をした。
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