河川敷の夜は早い。外の喧騒はなんのその、河川敷は闇夜に包まれて、寂然としている。 その上、昼間に恒例の一斉洗濯をしたものだから、その疲労も相俟って就寝時間は皆早い。
 その中でただ唯一、明かりをつけている小屋があった。 少ない窓の遮光カーテンの隙間から光が漏れているだけだが、とてつもない存在感を放っている。 光度が高いわけではないのだが中に居る人を、寝かせないように照らすかの如く煌煌と輝いていた。 その人物はただ只管に時計の針が進むのを待った。早く、朝よ来い、と、テーブルにうつ伏せになる。
 いつもなら適当にTVを見るか、読書でもするか、羊の様子でも見に行くか、暇を持て余すなんて事はしないのに、 今日はどれも気分が乗らない。寒いわけでも、疲れてるわけでもない。こんなことをしてる方が余程気が滅入るのに、 広いリビングにぽつりとあるテーブルに括りつけられたように彼女の身体は動かない。
 小屋の中は見た目はボロ小屋だが、中の作りはしっかりとしていた。天井が高い所為か想像よりも広いように見受ける。 だがこの広さですら、今の彼女にとっては忌わしく思える。特に因縁などはない。ただこの広さが人数と確実に見合ってない。
 彼女は今日何度目かわからない時計の確認する。3時を回っていた。 しかしこの電灯に絶対に負けない陽が昇るまであと大目に見ても2時間以上はかかる。絶望的だった。
 溜息をついて眠れない事は解っていても、寝台へ向かうことにした。身体を起していても、横にしても大して変わらないのなら、まだ疲労が翌日に響かないほうがいい。 動かない身体を叱咤して、寝室である隣室へ足を運ぶ。寝室の電気はつけなかったが、ダイニングの電気はつけっぱなしにした。ドアも開けっぱなしだった。 寝台は寝室の一番奥にあった。目をつぶってでも辿りつけるが、今日はふらふらとした足取りで漸く寝台へたどりついた。間違えて枕に足を向けてしまったが、身体の向きを変える気にはなれなかった。寝台のスプリングがゆっくりと音を立てるのを聞きながら、彼女は身を沈めた。しかしそれでも瞼は降りてくる気配を一向に見せない。むしろひんやりとしたシーツの所為で、目はみるみるうちにさえていく。しかしそれでも彼女は焦らなかった。
 そもそも深い眠りについたことなど今まであったのか。答えはノーだった。 浅い眠りを短時間で、何が起こってもすぐ目が覚めてその上、臨戦態勢に ―人をあっさりと殺戮してしまうような心構えを―  入れるようになってしまった神経質な身体は、 最前線を離れても抜けることなく彼女の中で澱のごとく残り続けている。普段は沈殿していても、何かの拍子で身体を駆け巡る澱。
 それがひそやかにまた沈んでゆくのをこうやって何晩かかけて待つ。
 澱をそこから取り除くのはもう何年も前に彼女自身が諦めてしまった。だがこれでも最近では一晩、長くても三晩ですむようになったし、その上空が黒色から紫になる頃には眠れるようになってたのだから、数ヶ月もかかっていた時期と比較したら大きな成長だった。
 一時間が経過すると鶏が日課である、早すぎる朝を告げる鳴き声を高らかにあげたので、カーテンの隙間から見える空をみる。まだ真っ暗だった。
 だが安堵したのかうとうととしてきて、望みである眠気の波に飲まれていく。ふわふわとして天井と隣の部屋の電灯がマーブル模様になってきた頃、彼女はまた神経を研ぎ澄ました。
 彼女は舌打ちをして、再び目をつぶった。だがドアがノックをする音で彼女の眉間に深い谷が出来た。開いてるわよ、どうぞ、と彼女が言うと、入ってきたのは大柄の男だった。この広い部屋が一気に狭くなる。
 入り口は彼にとって狭すぎるのか、頭をわずかばかりもたげて小屋へ踏み入れると、そのまま彼女がいる寝室へ向かった。
 寝台に横たわる彼女と目が交わると、男は手を伸ばした。しかし、彼女は男の手に自身の手を絡めることはしなかった。仕方なしに男は彼女を抱き起こして、枕に頭を埋めさせるとブランケットをかけた。
 いつもならその男から腹立たしい上に、澱を浮かび上がらせる原因にもなる火薬の匂いが、洗濯したおかげで漂ってこなかった。
 男はそれ以上に彼女に触れることはなく、椅子を寝台脇まで引っ張ってきて慣れたようにその辺にある本を手に取った。
「電気、消してくんない?あなたの気持ち悪い顔見ながら眠りたくないから」
 傷口から血を吹きながら男はリビングに行って電灯を消し、その代わり寝台の枕元にある電灯をつけると同時に彼女は漸く目を閉じた。
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