沖田は机上の仕事が大嫌いだった。だが一番隊隊長であるからにはデスクワークは避けられない仕事である。(それでもかなりサボタージュし部下ないし副長に強制的に回しているのだが)
 天人が経営する店で格安で購入したヒーターをつけて、沖田は座椅子に座って一人、書類へ向かい続けていた。自身がバズーカで屋根をふっとばしてしまった際の始末書とその他諸々。元来、沖田はこの手の仕事をこなすのは格段に速い。だが丁寧というよりは綺麗に魅せるのが巧妙であるため、穴だらけなのだが、始末書はあの公務が終了したら娘の事かきゃばくらで豪遊することしか考えてないような松平公宛てなのである。所詮あの紙など4等分に切られ、メモ用紙代わりになってしまう ―ここに連絡しておけ、と言われ渡された番号の書いたメモの裏は近藤がすまいるの常連である松平から口聞きで志村妙を嫁に、という暑苦しい嘆願書の一部だったことがあった― 真面目に書いただけ損をする仕組みであった。その他の書類やお上(おかみ)の提出物は土方の校正が施され、下手をすれば大幅に改編させられているのである。なら自分でやれよ死ねよ土方、と思いつつも、流石にここ数カ月逃げ続けていたのと、今回は土方と珍しく近藤にも言われていたので、もうそろそろやってやるかと一週間前に珍しく筆を手に取ったのである。
 長かった事務処理もこの分だとあと半時もすれば終了するだろうと推測したがそれはおおいに狂わされることとなる。

「山崎、土方の部屋からヒーターかっぱらってこい」
 内線で山崎に伝えると、返事も聞かずそのまま受話器を置いた。すぐに電話のベルが鳴ったが10回目の呼び出し音で切れてしまった。
「んだよ、畜生。こんな時ばっかぶっ壊れやがって」
 温風を吐きださなくなったヒーターをバンバンと繰り返し叩いて言っても仕方のない文句を言う。その声は壁に跳ね返ってよく聞こえた。
 おそらく山崎が、同様に書類仕事を行っている副長・土方の部屋からはヒーターを頂戴することは不可能なので、ヒーターを工面するのにかなりの時間を要すると見た。
 箪笥から半纏(はんてん)を引っ張り出して着込んでやり過ごすに限る。それを二枚重ねに着て、まだ部屋が暖かいうちに済ませてしまおうと再び机に向き合っていると、足音が沖田の耳に届いた。山崎にしては仕事が早すぎる。それともブチ切れた土方か、志村邸にいって普段通り玉砕した近藤か、適当に予測をつけて近づいてくる足音を待つ。だが足音は細切れで歩幅が小さい。少し不審がったが、まだ真夜中と言うには早すぎる時間。容易に不審者が屯所に進入出来るようなら、門にかかっている板を外すべきだろう。
 その足音は、沖田の部屋の前で止まり、ノックは勿論、声もかけずに障子が開く。そこには偉そうに仁王立ちする神楽が沖田を見つめていた。外に長い間いたのか頬は痛々しく朱に染まっている。神楽の背後からは部下達の話声や風呂で唄っている歌声と外の冷気が一緒に流れてくる。
「なんでィ、テメェかい」
 俺は忙しいんだ、と言っても神楽は表情を変えずにただじっと沖田を見ていた。
 只でさえヒーターも壊れて室温が下がっているのに、障子を開けっぱなしにされては困るので沖田はとりあえず閉めろ、と言った。
 ぴしゃりと高く乾いた音がすると、寒さと向こうの方で聞こえる隊員達のざわめきが遮断される。神楽とは目が合ったままだったのでどうやら足で器用に閉めたらしい。その分余計沈黙が迫って悪いことした記憶などないのに沖田はわずかばかり後ろめたい気分となった。
 室内のしじまを斬ったのは神楽だった。
「おい、返せよ」
「…は?」
「オマエ、かつて私に返してないものがアルネ。今日はそれを返しに貰いに来たアル」
 沖田は懸命に自分の行動を思い出したが、ここ最近神楽と逢ってもいないので身に覚えないので、柄にもなくきょとんとしてしまう。
「覚えてないアルか」
 あー、やんなっちゃうヨ、と言いながら神楽は座ってる沖田にぐんぐんと近づいてくる。
「おいおいおいおい、なんだよ」
 神楽はおっこらせ、と沖田にまたがって座って首に巻きつくように腕を回したが、顔は距離を保ったままだった。沖田は神楽の目の中にいる自分と目が合った。意外と顔は驚いてはいない。
「何」
「ほんっとに覚えてないアルか?」
 確か神楽に逢ったのは二週間前。空はピーカン。神楽が傘を肩にかけて歩いていたから天気まで記憶していたが、神楽と話した内容は思い出せない。思い出せない程、他愛ない話をしていたからである。唯一覚えているのは『酢昆布が値上げしたアル。一週間で78箱食べてたのに節約で63箱に減らさないといけないヨ。オマエ、どうにかするヨロシ』だ。
「…とりあえず松平のとっつあんには値下げは無理だが元の値段に戻してくれ、と言っておく」
 神楽の細く短い眉が不機嫌そうに上下するのが前髪の隙間から見えた。数打てばいずれ当たるだろうと沖田は開き直って他愛のない話題を提供する事にした。
「一昨年のクリスマス大喧嘩したよなァ」
「もうそれはいい。思い出したくもないアル。胸糞悪ィ」
「初詣、結局行けなかったなァ」
「あ、忘れてたネ!もうバレンタインも近いアル…よし、明日行くヨ」
「無理明日、仕事。ってかバレンタインいらねェから、マジで」
「愛情たっぷりつめてやるヨ。アネゴと作る約束したネ」
「いや本当に結構ですから。去年死にかけましたから、僕。それにホワイトデーめんどくさいんで」
「私、ウォレットがほしーアル。赤いの」
「え、ウォシュレット?」
「おい、右耳から左耳に箸通すぞ、コルァ。そもそもホワイトデーまともに貰ったことないアル。去年も一昨年もその前も」
「え、そんなか?付き合い始めて3年も経つってことかィ?」
「あ、近い!」
 急に神楽の目が煌めきだしたので、沖田は思案した。これが近いとはなんなのだろうか。もしや付き合い出した日が間違っているとか?だが神楽はどうせ当たらないからいいアル、と切り捨てた。
「付き合った年数も間違ってる輩にはぜったいわからないネ」
「え、間違ってる?」
「3月で4年が正解」
 神楽はこれを間違った事には不機嫌そうなそぶりを見せなかった。女はつくづくわからない、と沖田は思う。
「4年前の今日、オマエは私を押し倒したアル」
 唐突だったので、沖田はまた神楽の目の中を覗き込んだ。神楽の目は碧い眼(まなこ)の面積が広いので、よく鏡代わりにしている。そして今も沖田は自分を映し出して見たのだが、先程の自分とは違い、眼は見開いて、星をくらったような顔をしている。
「だから今日は私はオマエを押し倒しに来たネ」
 神楽がそう口にすると座椅子のレバーを少し引いて、座ったままの沖田をゆっくりと文字通り押し倒した。神楽は腕を立てて沖田から距離を取って見つめる。
「何、俺、このまま逆レイプなわけ?」
「…まだ思い出さないアルか?」
「ぜったいわからない、って言ったのテメェだろぃ」
「ま、思い出せないならいいヨ」
 思い出さないほうがいいことでもあるし、と言って神楽は沖田の身体に寝転ぶ。そのまま半纏にしがみついて足を二、三度じたばたさせた後、うつ伏せで伏せる。触れている箇所から神楽の熱がしみ出すように沖田にゆっくりと浸透する。通常なら彼女の方がついさっきまで外気に触れていたので冷たいはずなのに、神楽はとても温かかった。
 じょじょに下がっていく部屋の温度に辟易としつつ、沖田は片腕をまくら代わりに、もう片腕は神楽を抱くように回した。より熱が増す、広がる。それに呼応するように神楽は沖田の足に自身の足を絡ませた。
 背もたれが背中を圧迫しているため寝心地はよくはない。仕事が終わらない、山崎が来たらどうする等、こうしてはいられない状況であるのに、沖田は邪見にする気になれず、久方ぶりの事務処理も相俟ってそのまま眼を閉じた。

 だから彼女が泣いているなんて沖田はまったく気がつくことが出来なかった。
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