「激萎えアル」
 万事屋の玄関から道路を望むと白と黒のカラーリングが施された車が一台。それに寄り掛かる男は隊服ではなく私服であった。朝早い所為か大きな欠伸を一回した。
「仕方ねェだろィ。レンタカー勿体ねーし」
 神楽はいってくるアルよー、中へ一声かけて階段を一段抜かしで降りてパトカーへ乗り込んだ。
「うわ、相変わらず煙草とゴリラ臭いな!!」
 11月初旬、早朝でかなり寒いのにも関わらず助手席の窓を全開に開ける。北からの季節風が昨日から吹き始めて尚且つ今にでも雨が降り出しそうな曇り空だった。車で走り出すと冷たい風がここぞとばかりにパトカーの中に進入してくる。沖田はハンドルを握っている右手に左手を擦すり合わせた。
「2日前からファブリーズもしたし、これでも近藤さんと土方さんがあんま乗らねぇの持ってきたんだ。我慢しろィ。あ、シートベルトしろ。道路交通法違反でパクるぜィ」
「へーへー」
 鼻を穿って、捕れたブツをぴん、と外へ弾き飛ばすとシートベルトを装着した。
「これ好きじゃないアル。私は誰にも縛られたくないネ」
 窮屈そうなシートベルトを引っ張って解放されようとする。だがここは江戸でそのうえ隣にいるのはおまわりさんなのだから仕方がないのである。
「女のくせに鼻糞穿って外に飛ばす奴を縛る人間なんてこの世に存在するならお目にかかりたい所でさァ」
「なんだ、つけて欲しいアルか?マーキングしてもいいアルか?」
「そっちじゃねェェェェ!!鼻糞狩りの方だァァァァ!!テメーはどこの三刀流だコルァァァ!!」
 沖田のテンションと反比例してパトカー内の気温が下がり出したので神楽は漸く窓を閉めた。だがやはり煙草と神楽曰くゴリラ臭は消えてないらしく顔の目の前で手を振る仕草をした。その神楽を横目に沖田は慣れた手つきでハンドルを回し、アクセルを踏む。そして
「さて、どこへ行くかィ」
 と、口にした。
「…はァ?」
「テメーは鼻糞狩りの以前に耳糞狩りをした方がよさそうだ、よし今日からお前は耳糞狩りの神楽と呼んでやらァ」
「そんな二つ名いらないし聞こえてんだよコルァ。それよりお前の記憶障害をどうにかしなきゃならないアル。なんだ、このまま病院にいくかああん?」
「記憶障害?なんのことですかィ?」
 しらっとした顔でウインカーを出して左折をする。この左折だって特に意味はない。ただこのまままっすぐ進んでしまうと警視庁前の大通りに出てしまうので左折しただけである。右折でもよかったのだ。
「俺が行くとこ全部決めてやらァ、なんて言ってたのはどの口アルか?その口だろうが。こんな朝早くから連れ出してその上くっさいパトカーに乗せやがって」
「よし今決めた。とりあえず万事屋に戻ろう」
「とりあえずお前だけ先、三途の川に連れてってやろうか今この場で」
 信号が赤になったので丁寧に止める。沖田は隣に座る彼女をちらりと見やった。
「まぁ確かに決まらなかった」
「ほらみろ」
 神楽は助手席に体を深く沈めて沖田を見つめる。その顔は口をへの字に曲げているが目はあまり元気がない。目が合うと再びまっすぐ向き直って悪かったな、と口にして少しばかりの謝辞を見せる。
「最初から期待なんてしてないアル。気にするなんてキモいアル」
「………言い訳すんなら昨日まで事件が立て込んでたっつーのとお前の今日一日の行動予定がよくわからなかった」
「行動予定って?」
「今日、親父さん来日するって連絡が組に入った。こりゃお前に逢いに来るんだろうなァと思いまして」
「確かにパピーは5時に来るから4時半には家にいろって言われたアル」
「ほら。だから早朝なわけ」
「でぇとなんて言語道断、相手は抹殺って言ってたし」
「俺は副長の座を手に入れるまでは死ねないんでさァ」
「でも、銀ちゃんがルールは破るためにあるって言ってたアル」
 思わず顔を思い切り神楽の方へ向ける。その顔は無表情で飄々としていた。満月の如く丸い瞳が沖田を見つめ返す。
「信号、青」
 パトカーで無ければ後ろの車にクラクションを鳴らされていたであろう。それくらいの時間、止まったままだった。沖田は急いでアクセルを踏んだ。うっかり違反すれすれのスピードを出してしまうがそれどころではない。しかし一、警官ではあるため持ち合わせていた理性で制限速度+15オーバーで済ませた。まあ沖田が警官という建前を気にするような男であったら容疑者を検挙する際にバズーカで建物を破壊することなどしないのだが。
「あの人は俺に死ねって言ってんのか。俺になんか怨みでもあんのかィ」
「銀ちゃんは私とお前の事は容認派アル。むしろがんがん行こうぜ派アル」
「そのがんがん行こうぜが無責任すぎなんでィ」
「お前へたれアルなー。私が飛ばした鼻糞にぶつかって死にそうアルな」
「つーかお前はオッケーなわけかィ?」
 また信号が赤になったのでまた止まった。今度は青で止まり続けるなんて失態はしたくはないので絶対に神楽の方は見ないようにした。止まってると窓ガラスにぽつぽつと雨粒が落ちてくる。止まっているのでガラスを穿つかの如く雨音が聞こえてくる。
「降ってきやがった…明日も降るらしいからなァ」
「丁度いいネ」
 雨が丁度いいなんてあるわけねぇ、と口にしそうになったが彼女が夜兎だということを思い出したのでやめた。彼女の過去は常に雨と共にあるというのを以前、聞いたことがあったからだ。
「雨ほど強くなれるアル。もっと遠くへ逃げるアル」
 沖田はやはり我慢できなくて神楽に目を向ける。神楽は今日初めて口角を上げた。その顔は戦闘モードではあったが、殺気だったものではない。
「…俺が殺されてもいいんですかィ?」
「いざとなったら私が守るアル。びーびー泣いて帰ってゴリにでもマヨにでもミントンにでも慰めてもらうヨロシ」
 彼女と父親の対決を沖田は目にしたことがある。人間ではない。あれが彼女を初めて人間ではなく天人であり、夜兎であると認識させた出来事であったためとても印象深い。あれに立ち向かおうとしてるなんて命がいくつあっても足らないなぁ、なんて沖田は思う。
「生憎その気はないんでさァ。立ち向かってやらァ」
「信号、青」
 アクセルをぐ、と踏んだが今回はスピードは制限速度ぴったりだった。雨でスリップを起こしやすくなっているので慎重に。だが逃げなければならないのだ。じょじょに大粒になっていく雨に沖田は感謝した。彼女の父親とはいつか対峙せねばならない時が来るのだ。それが思っていたより早くて、そして長期戦になりそうなだけである。だから今回は逃げるところまで逃げよう。秋雨が江戸を覆い隠している間だけは。
「お腹すいた」
「後ろ酢昆布買ってある」
「お、気がきくなアル!その上わざわざ有給取ってくれたみたいだし。しかも3日と4日。誕生日ってすげぇ」
 思わず更にアクセルを踏んでしまう。みるみる内にパトカーは早くなり、あっという間に制限速度20キロオーバー。確かに逃げるならこれくらいしないといけない。それどころかサイレンを光らせていないといけないくらいだ。だが私服警官の隣で自分が発した台詞がどれだけ彼を慙死の思いにかられさせているのに気が付いてない少女を乗せているわけがないのである。神楽は酢昆布をひょいひょいと口内へ頬り込んで車内はすっかり酸っぱい匂いで充満している。
「なんでそれ知ってんだよ。情報リークしたの誰でィ」
「ゴリラ発、新八経由ってオィィ信号赤ァァァ!!!」
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